南枝の花より
昭和二年五月二十日 新潮社発行
装幀 岸田劉生
撫子 杜鵑(さつき) 紫陽花 躑躅(つつじ) 花橘 などにつゝまれて、
長命縷(ちょうめいる)の色美しく
太陽はいま中空に輝いてゐる。
迦陵頻伽(かりょうびんが)のいとも妙なる聲音(こわね)に
生々しい桃の實持てる童女等は
ひとしくその可愛い小首をかしげ、
水々しい綠の衣まとへる童子等は
銀紙の兜 菖蒲刀も勇しく
金色の陽炎と若草のもえたつ野邊に
そのふくよかな素足を躍らす。
麝香(じゃこう) 沈香 甘松龍腦(かんしょうりゅうのう)の香のほのかなるところに、
曾て太液(たいえき)の芙蓉の紅(くれなゐ)に
比翼連理の睦言を夢みた美しい上臈(じょうらふ)達は圓座し、
いましづかに粽を供へて、
青蓮の瞳うるませ
つゝましけに何事かを祈る。
ごらんよ 飛雲のやうに
ごらんよ 飛雲のやうに
遠く地平のかなたからむらがり出たあの勇ましい人達を。
雄々しくもけなけなる姿よ。
左方十人は緋の闕掖(けつてき)に緋の裲襠(りやうとう)をまとひ、
同じく右方十人は黑の闕掖に獅子蠻繪繡(ししばんえぬひ)の袍を着し、
昔の裲襠をまとふ。
共に細纓(ほそゑい)の冠緌(かんむりおいかけ)を着し、
共に萌黄の両面錦の袴を着し、
おのおの腰に菖蒲を巻き、
おのおの鍊へに鍊へた馬に乘る。
お、太鼓が鳴るとき、太鼓が鳴るとき、
白金の馬の蹄の音(ね)に
虚空に長命縷(ちょうめいる)の光が散るとも、
花が散るとも、
ただ、彼等はひたすらに自由を夢み
競ひの神秘な歓喜にひたり、
無限から無限へ
地上に銀色の影魔(かげま)を印して馳(か)けりに馳り狂ふのだ。
その時美しい上臈達は尚も、
青蓮の瞳をうるませて何事かを祈り續ける。
さて わたし達は
奥座敷に飾られた武者人形達が
幾度となく移りかはつていつた今は亡き主人達の思出にふけるとき
何を祈ればいゝのだらう。
「空(くう)」にとけ入つたものゝ侘しさと、
ほのかなるよろこびよ、
さて わたし達は何を祈ればいゝのだらう。
生命ある人造人間が製造されない以上
詩は科學に厭倒されない
ゲラ刷を見ながら餘白にー
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