亡き父を憶ふ

【原始と文明の中間に怯える者】より
大正13年1月1日 新潮社発行
装幀 恩地孝四郎
亡き父を憶ふ
私は幼い時からよく父に連られて能樂を見に行つたものです。
亡き觀世元義が京都でまだ片山の姓であつた頃、
『天鼓』を演じたことがありました。
丁度前シテの老人が
背くもおそれ多い帝の勅を受けて、
亡き吾が子の愛翫して居た小鼓をうつ所まで演じたときでした。
身に少しのおぼえもないものを、
老いの手を慄はしながら涙とともに打つ、
ひとうち ひとうちに
ふしぎや、
殿上に侍る名手でさへ鳴らせなかつた小鼓が
さえざえと鳴りわたつたのでした。

あ その時です………
私はふとその翁の能面をぢいつと眺めて
眼にいつぱいの涙をたたへて居る
父の横顔を盗み見たのです。

父は去年、
肌寒い一月の末に亡くなつてしまひました。

此頃になつてわたしは初めて、
亡き父を心から慕ふて居ります。
ひとり書斎に居るときなぞ
たまらなく戀しひと思ふ事もたびたびです。
今になつてあの懐しい幻のやうな幼い日の思出を
繰返せばくりかへすほど、
ゆえしらず胸がこみ上げて來て、
聲を忍ばせて泣き入ることもあるのです。

さうしてまだはつきりと覺えて居る筈の父の顔と、
あの翁の能面とが、
どうかすると同じやうに思はれて
慕はれてならないのです。


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