太陽のこども

昭和十九年十二月二十日 國民図書刊行會発行
赤松俊子 畫
あとがき
お母さま方へ

「マタ・ハリ」といふのは、南の國のマライ語で、太陽とか日輪の眼とかいふような意味で、かういうことばにちなむ名を持つた子供が、その光に浴して次第に、はぐくみ育てられてゆく物語を書いてみました。
  光は心の眼をひらいてくれます。ものの見方や、考へ方を、正しく示してくれます。その明るい道を見てゐると、まつすぐに、どんどん歩いて行かずにゐられない勇氣が、からだ中にみちあふれて來ます。

  マタ・ハリが征き進む道にとぐろを巻いてゐるをろちは、今から三百四十五年前(我が慶長年代)にこの地に侵略して來たオランダの軍隊とも考へられますし、河や海に待ちかまへてゐる怪物は、當時、世界の海を渡り歩いた海賊どもとも想はれます。

  マタ・ハリ達の住む南の國、例へばジャワでも、バリ、スマトラ、マライなどにも、この物語に紹介されてゐる影畫人形芝居が、昔から今に至るまで行はれてゐますが、それらは彼等の國をひらいて下さつた神さまや、武勇すぐれた英雄や、徳望高い御先祖の靈を祭つて、その大きな力や輝かしい榮譽にあやかりますやうにと祈願する爲に催されたものであります。

   例へばジャワでは、ワヤン・プルワなどといふ影畫芝居がありますが、これを行ふ前には、祭司であると共に、演技指導者をかねてゐるダランが、開演に先だつて、乳香を焚き、跪拜(きはい)し、祈禱して、嵩厳な儀式を行ひ、それからこの本の挿畫にあるやうな水牛の皮で作つた極彩色の姿をすかし彫りにした繰人形を取り出し、幕のうしろに吊るされた燈明に依つてその影を幕に寫し出し、ガムラン音樂の奏樂につれていろいろの樂劇を演じるのであります。それらは國造りの神話傳説とか、印度から渡つて來た宗教的な長篇叙事詩物語とか、建國以來の歴史的英雄偉人の業蹟をうたつた物語等であります。

  南の國のそれらも、日本をはじめ、總ての大東亜の國々のそれと同じやうに、家を治め、お國に仕へ、御祖先の神々をお祭りする爲に、それらの藝能が初まつたもので、これが、ただ、飲んだり食つたりして馬鹿遊びをすればよいといふやうな米英の演藝娯樂などとは、根本的に異るところでもあります。それにもかかはらず、かうした肇國以來の傳統的な文化や藝能は次第に滅ぼされて來ました。なぜなら傳統的な文化や藝能はその國民の心の糧であつて、さういふものがあつては、侵略者にとつては邪魔になつて仕方がないからであります。それ等の暴戻あくなき侵略者達は、機會あるごとに國民の心の糧を奪ひ、それこそほんたうの心なきデクの坊人形のやうにしてしまつて、ありとあらゆる搾取と酷使を行なつて來たものであります。

(後略)


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